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2010年07月23日

WAVE in はまだ リポート

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遅ればせながら、2009年11月22日に行われた「WAVE in はまだ」でのシンポジウムの、リポートです。


2009年11月22日(日)
浜田市世界こども美術館3F多目的ホールにて
「日本の絵本・戦後60年の歩み(パート1)」

出演者(左から)
田島征彦先生、西巻茅子先生、田島征三先生、太田大八先生
司会:穂積保(こどもの本WAVE代表)

司会・穂積
太田先生が絵本作家になられたきっかけは?

太田大八
絵本を特に目指していたわけではなかったのですが、美術学校で絵本に興味があって、卒業制作に絵本をテーマに選びました。戦争中の話で、象に乗って帰ってきた兵隊の絵本を作りました。そのときから今日までいい仕事をしながら飯が食えて、満足しています。

穂積
戦後の絵本の流れについてですが、まずは田島征三さんから話してください。

田島征三
『こどものとも50年の歩み』という本があります。三年前に出たものですが、松居直さんが子どもたちには物語が大切だと、質の高い絵本を出すために、それまでの童画家にもすばらしい方はいらっしゃったのですが、絵本としては一つの物語にはなっていないということで、1956年4月に「月刊・こどものとも」が発刊されました。それが日本の絵本の歴史、発展を導いたというか、指導した。
記念すべき第一号は堀文子さんの『ビップとちょうちょ』、第二号は『セロ弾きのゴーシュ』、茂田井武さんが絵を描いた。初期には質の高い絵本が数多く出版されていて、太田さんも2冊描いています。童画会の会員はどれくらいおられたんですか?

太田
150人くらいかな。その当時は、出版社が出す子どもの本はかわいらしい色彩を使わなければならなかった。松居さんが初めて色彩を抑えた絵本を作った。

征三
それまでは子ども受けをする絵を描くのが当然でした。「こどものとも」だけが発展を導いたわけではないけど、50年代の終わりから60年代の初めにかけては、やはり「こどものとも」だったと思います。西巻さんがこぐま社から『わたしのワンピース』を出したのは60年代の終わりでしたよね?

西巻茅子
わたしは67年に『ボタンのくに』、最初の絵本を出しました。今でも出ています。私は征三さんと同世代で、戦後の絵本がない時代を過ごしました。外国の絵本を見て絵本があることを知ったのです。長新太さんの絵本を見たのは65年ころだったかな。こういう絵を描ける子どもの本の世界はいいなと思った。それからしばらくして征三さんの『ふるやのもり』を見た。
それまでも子どもの本はたくさんあったけど、日本のイラストには関心がなかったんです。

征三
長新太さんの絵には僕もおどろいた。こういう絵がいいなら俺の絵だっていいだろって(笑)。絵本の歴史であまり語られてないんだけど、こどものとも第4号で山中春雄さん。長さんが「こういう猟奇的な絵が使われてもいいんだな」って思って、絵本を始められた。山中さん、長さん、西巻さん、とこういうつながりがあるんですね。

穂積
西巻さんも田島さんお二人も同世代ですが、征三さんが最初に絵本を出されて次が西巻さん、征彦さんが数年遅れているんですよね。
ご自分の作品が出されたころの状況を聞かせてください。

田島征彦
僕はあんまり戦後60年の絵本の歴史には関係ないんで僕なりに。僕の先生の稲垣先生が豆本の課題を出した。絵本を作る課題があった。僕は学校さぼって芝居の背景ばかり作ってたんだけど、共同制作で教室にひっぱりこまれて仕方なしに作ったらものすごく面白い。スケッチして型染めをするのとは違うことがわかった。『アラジンと魔法のランプ』という絵本だった。アラジンが穴の中に落ちる場面。アラジンの気持ちを考えて作った。絵本は心を描く作業で、これはとんでもない世界ではないかと。僕は実は3人の中で一番早く絵本を作ったんです(笑)
それから自費出版で絵本を作ったら売れなくて、せいちゃんにこの本売ってくれないかって東京まで夜行で頼みにいっても一冊も売れなくて、何しに東京にいったんやろって(笑)。それが二人で絵本について話した最初やったと思う。

征三
ちょっとは売れたけどな。

征彦
金くれなかったんやろな(笑)

征三
僕もそれに刺激されて一年後に手刷りで『しばてん』を62年に作った。長さんのイソップは63年だね。長さんは1957年に『がんばれさるのサランくん』を出したのが最初。その後、画風が変わったんですよ。おもしろいんだけど、ちょっとまとまりのない感じ。さすがの松居さんも1年以上お蔵入りさせた。

穂積
長さんの初期の作品って描きなおしされてるんですよね。同じテーマで何冊も。『がんばれさるのさらんくん』とか『おしゃべりなたまごやき』などですけど。

西巻
それまでも長さんはイラストレーションの仕事はされてましたよね。文春の漫画読本に毎月描いていてすごく面白かった。女の人から逃げ回る男がテーマ。私は漫画家の長さんを知っていて、イラストレーターの長さんを知っていて、こういう人が絵本の世界で活躍するだろうと思っていた。私が出版社に長さんと征三さんの絵を持っていっても、みんな「このような絵は子どもにわからない」と言われてしまっていた。1960年代では異端だった。
でも、世界の美術の歴史から見れば20世紀の美術とリンクしているのはこちらですよね。フランスの近代絵画を学生時代に浴びるように見ていた私としては、二人の絵はすごい絵に見えた。当時の出版社の人たちは、文章はわかっても絵はわからなかった。

穂積
そこに日本の絵本の発達の特徴があると思います。文に重きを置いて、そこに挿絵をつけるのが絵本だ、という固定観念。絵本は戦前からもあったけれど絵に連続性がまったくない。それに対して物語絵本は絵とストーリーが一致する画期的なものだった。50年代から日本の出版社が復活してきて、60年代に勇気ある作家が現れた。それまで出版社の人たちは海外に行くこともできず、65年頃からようやく海外のブックフェアに行くことができるようになった。60年代はアメリカ絵本の黄金時代。僕が学生時代に、ライトパブリシティという広告代理店がセンダックの事務所をまねて作られた。堀内誠一さんも広告の仕事をしながら絵本を作った。
60年代があってこそ70年代の日本の絵本の黄金期があると思います。本日出演の方々も、60年代が大きな転機になったんだと思います。今回の展覧会の作家の皆さんは当時20代で、すごい人たちがたくさんデビューした。僕はそのデビューする時代に偶然居合わせることができた。もう少し60年代のことについてお話いただけないでしょうか。

征三
60年代から70年代にかけて、太田さんの美術著作権問題の提起が大きな転機となった。60年代には印税が一銭も入らなかった。これはなんとかしないとって思っていたら、太田さんって方がいて相談しなさいといわれた。それが最初に会うきっかけでした。太田さんの著作権会議に呼ばれていったら武井武雄さんに「学生は帰りなさい!」って(笑)。
著作権を獲得するための努力、普段は温和な太田さんが火の玉になって戦ってくれた。そのことがあって70年代が。一人一人が戦わなければならないんです。僕も出版社に通いました。そのとき瀬川康夫さんが「童美連にまかせとけばいいんだよ」っていうのを無理やり引っ張り出したら、出版社の重役の言葉につかみかからんばかりにおこっちゃって、重役も恐れをなして「印税にしよう」って(笑)。

穂積
童美連の話が出ました。西巻さんも理事長をなさったし、初代の理事長は太田さんです。昔は画家が印税をもらえなかった。著作権を確立するため奔走したのが太田さんでした。70年代の黄金時代は外国の刺激もあったけれど、征三さんがおっしゃったように、ロイヤリティを継続してもらえる状況が作られたのは大きかったです。生活のために描きつづけなければならない状況が改善され、質を高めることができた。

太田
著作権獲得運動は、最初は武井さんと日本書籍出版協会に行ったんです。美術家にも著作権を、と。そのとき書籍協会の弁護士から「包括的著作権は出版社にある」って蹴っ飛ばされて。教科書についても絵描きには印税がなかった。そこで教科書協会に三年くらい談判に通った。向こうも弁護士をつけて、こちらも弁護士をつけて三年くらい。じゃあ、裁判しましょうと言ったら、結局向こうの弁護士が著作権法の起草者で自分たちが不利だとわかっていたんですね。示談にしようと。僕が百万円取りにいった。それを一般図書に広げるための団体を作る基金としようと。

絵本っていうのは人間形成を目的とするもので、絵や文から感性を学ぶことができると思います。僕は絵本の仕事を伝えながら、絵本っていうのは子どもたちの感性にしみこんで、大きくなっても残る大切なメディアであると考えています。コミュニケーションアート、伝達するアートとして考えています。純粋絵画の作家には積極的なコミュニケーションの姿勢がない。自分を作品の上に洗い出すのが純粋絵画ですが、コミュニケーションアートは対象に伝えようとするアートで、子どもの感性に伝える大切な仕事。立派な本を作るためには高度な芸術性が必要だと考えながら、今でも作り続けています。

穂積
著作権から絵本作りまで幅広く語っていただきましたが、ここで三人の先生方に、当時のことについて言い忘れたことがあったら、一言ずつお願いします。

征三
1960年代後半から70年代に僕はまだひっかかっているんだけど、僕は1962年に作った手刷りの『しばてん』がまだ残っていて、後に小峰書店から偕成社に移った編集者が、この本を出してくれた。これが僕にとって第二の出発点になった。穂積さんがおっしゃったように60年代は文学者の文に絵をつける時代だった。

西巻
昔は絵描きは文章を書けないと思われていた。『ボタンのくに』で文章を書く方がこちらの希望にあわせてくれてから、大体わかるようになって『わたしのワンピース』を作った。

征三
僕も自分で物語を作りたかった。そこで『しばてん』を出した。10%の印税で。当時偕成社は8%だったんだけど、10%で出すよう交渉して、三年間はこの印税で『ふきまんぶく』の制作に集中することができた。当時僕は自給自足を目指していてお米以外は自分で作っていた。それに『しばてん』と『ちからたろう』の印税のおかげで『ふきまんぶく』を完成させることができた。でも、太田さんとの付き合いで他の人のためにも戦わないといけないと思って。遠藤てるよさんが講談社から絵本を出すとき印税制を主張したら突っぱねられて、僕はそのことをあちこちに書きまくった。そしたら『ふきまんぶく』が講談社出版賞に選ばれて。どうしようかなって(笑)。そしたら次の日かな。長さんから速達がきて。「田島くん。人を食ったように生きるのが一番いいんだよ」って。それで、受賞者の挨拶で。茂田井さんがどんな死に方をされたかって話をしたんです。茂田井さんは売れっ子だったのに印税が入らなかったから毎日働かなければならなかった。奥さんが生命保険の外交に出ていた間に喘息の発作を起こして亡くなられた。もし講談社から印税が入っていればどれだけよい絵本を描けたかって話をしたら、会場にはうけたんですよ。講談社の重役は怖い顔でこっちを見てる。
今は講談社も著作権を認めています。でもそういう戦いがあったから講談社も小学館も認めてくれたんだと思います。

もう一つ70年代に影響を与えたのは、大八さんが日本イラストレーター会議を開いていて、「月刊絵本」がすばる書房から出ていた。「日本児童文学」って雑誌が絵本を取り上げたらものすごく売れて、絵本の月刊誌が生まれたんです。これが第一次絵本ブームを主導した。この月刊絵本で『はせがわくんきらいや』が月刊絵本賞を受賞して多くの人に影響を与えた。

西巻
一言付け加えさせてください。田島さんがおっしゃったのも一つの側面ですが、お母さんの読み聞かせの運動、これがもうひとつの側面だと思います。こつこつと家庭文庫を作る家庭が増えたのが70年代、子どもと絵本を結びつける人が現れた。出版社は絵本を世の中に押し出してくれた。田島さんは芸術家の使命で突っ走っていた。私は田島さんに「絵本は子どものためだけのものじゃないだろ!」って怒られていた(笑)。
加古里子さんが当時すごく子どもたちに人気があって、でも一見下手な絵ですよね(笑)。私はそれを研究していた。子どもたちによる評価が生まれてきたのが私にとってラッキーで、私が幼い子どもたちのために描いた本が子どもたちに評価してもらえて、ずっと作品を作り続けることができた。

穂積
『わたしのワンピース」は、もう三代くらいに読みつがれている絵本ですよね。それくらい絵本は寿命が長い。ロングセラーになることはとても大切だと思います。『じごくのそうべえ』のように。

征彦
僕は76年に『祇園祭』を描いてデビューしているのであんまり絵本作家受難の時代を生きていないんだけど、一つ受難がありました。この本がいろんな賞の候補になった。小学館絵画賞の候補になったんだけど「子どもの本じゃない」って落とされました。しばらくして『火の笛』を出した。これはまったく子どもの本じゃない。応仁の乱で途絶えた祇園祭を町人と下層の人たちが組んで復興させるお話で、悲恋の話なんです。それなのに受賞した(笑)。
僕は本当に生活に苦労していたって話なんですが、子ども用の風邪薬を買いに来てくれた人に渡す絵本を出さないかって話がきて。僕は当然反対したんだけど家計が許さなかった(笑)。それでかなりのお金が入ったんです。『からすじぞう』って絵本、今はくもん出版からでているんだけど、当時は黒い地に黒い字書くようないい加減な作りで。
その話を小学館の受賞のスピーチに使おうとしたら怒られたっていうばかばかしい話で(笑)。

穂積
戦後60年の苦労の話ではありますね(笑)。いずれこの座談会のパート2をやりましょう。80年代のことも。話には出ていないんですが、太田さんのもう一人の盟友、堀内誠一さんがいらっしゃった。堀内さん、長さん、太田さんはいつでも一緒で、一緒に飲み、遊んでおられた。堀内さんは途中からパリに行かれた。今日の午後話をされるBL出版の落合編集長も当時パリに住んでいて、何かしら重なっている。太田さん、堀内さんについて一言お願いします。

太田
堀内さんが平凡出版(現・マガジンハウス)の仕事をしていた頃、堀内さんの事務所で娘を働かせてもらったことがあるんです。堀内さんと長さんと僕は新宿二丁目のバーでよく会っていて、あの頃は明るくなるまで飲んでいた。堀内さんがパリに行ってから、僕らはパリで会ってたんだけど、安いホテルを用意してくれたり、中華料理屋を教えてくれたり、面倒見のいい方だった。

穂積
僕も三人の皆さんとは月に何度か朝まで付き合いました。大体夜10時くらいに電話がかかってきて新宿二丁目に呼び出されるんです。考えてみたら60歳くらいでしょっちゅう朝まで飲んでらしたんですよね。私にはとてもできません。堀内さんは雑誌の神様として、たくさんの今でも売れている雑誌を作っていて、一方で絵本作家の面も持っていて、僕は学生時代のアパートが同じだったスズキコージさんを通じて堀内さんにも面識があってお世話してもらった。僕にとっての恩人でもあります。
さて、90年代や2000年など、最近の絵本の話が出なかったんですが、一応本日はパート1ということにして、パート2はいつになるかわからないんですが終わらせていただきます。

征三
最後に一言。いろいろ資料を持ってきたんですが、木葉井悦子さんの『かぼちゃありがとう』。すごく人気があった人ではないけど、芸術性の高い仕事をされました。あと、君平ちゃんの絵本も。1985年に亡くなられた。僕と征彦はもちろん同じ年の同じ日生まれなんだけど、君平ちゃんも同じ年の同じ日生まれ。堀内さんと顔が似ていて、堀内さんと同じ年に亡くなった。
「PeeBoo」って雑誌があって、大八さんが編集された。「月刊絵本」は出版社が別の事業で失敗して廃刊になって、何年か後に「PeeBoo」が創刊された。この会を主催しているのはこどもの本WAVEって団体ですが、これも大八さんが提唱されて、絵本をたくさんの人に見てもらおうとがんばってくれている。僕はあんまり協力できていなくて、さぼってばかりで申し訳ないんだけど(笑)。



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2010年05月20日

WAVE in よこてが開催されます

wave_in_yokote.pdf

WAVE in よこてが、6月5日、6日に開催されます。

日時:2010年6月5日(土)、6日(日)の2日間
会場:秋田県立近代美術館(横手市) 定員:各回120人ほど

■第1日目 6月5日(土)受付開始12時30分
12時50分〜13時 こどもの本WAVE代表からのごあいさつ
[講演会] イベント番号【WAVE1-1】
13時〜14時30分 小野明(編集者)「太田大八とえほんの仲間たち」
[講演会] イベント番号【WAVE1-2】
14時40分〜16時10分 田島征三(絵本作家)「激しく創った!!僕の絵本」

■第2日目 6月6日(日)受付開始9時30分
9時50分〜10時 こどもの本WAVE代表からのごあいさつ
[シンポジウム] イベント番号【WAVE2-1】
10時〜11時30分「日本の絵本 戦後60年の歩み」
出演予定者:田島征三(絵本作家)、西巻茅子(絵本作家)、田島征彦(染色家、絵本作家)
司会:穂積保(こどもの本WAVE代表) ※敬称略、順不同。
[講演会] イベント番号【WAVE2-2】
13時30分〜15時 田島征彦「元祖 落語の絵本」
[講演会] イベント番号【WAVE2-3】
15時〜16時 落合直也(編集者)「『紙とエンピツ』を編集して」

●参加費:無料
●参加対象:中学生以上の方(小学生以下は保護者同伴)
◎別途入館料が必要となります。

【お問い合わせ・お申し込み先】
秋田県立近代美術館 「WAVE in よこて」係
〒013-0064 秋田県横手市赤坂字富ヶ沢62-46
TEL:0182-33-8855
http://www.pref.akita.jp/gakusyu/public_html/

【お申込み受付期間】6月4日(金)まで。

ご参加希望のイベントを下記までお電話でご応募ください。
(複数のイベントへのご参加も歓迎です)

お申込み電話番号 0182-33-8855
秋田県立近代美術館「WAVE in よこて」係

※参加者全員のお名前と年齢(学年)、電話番号をお伝えください。
※定員になり次第、応募を締め切らせていただきます。
※都合により内容等が変更になることがありますので、予めご了承ください。
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2010年05月13日

WAVE in にしのみやが開催されます

wave in nishinomiya.pdf

日時:2010年5月22日、23日(日)の2日間
会場:西宮市大谷記念美術館 講堂

■第1日目 5月22日(土)受付開始10時
イベント番号【WAVE1】
[こどもの本WAVEからのごあいさつ]
10時20分〜10時30分 こどもの本WAVE代表より
[ワークショップ] 定員:各回60人
午前の部:10時30分〜12時
午後の部:1時30分〜3時
「日韓絵本作家らによる子どもと大人のためのワークショップ」
日本と韓国の作家が、民画や絵本作品の創作指導をいたします。
予定講師:カン・ヒョミ(民画・漆絵画家)、和歌山静子(絵本作家)ほか。

■第2日目 5月23日(日)受付開始10時
イベント番号【WAVE2】
[こどもの本WAVEからのごあいさつ]
10時20分〜10時30分 こどもの本WAVE代表より
[シンポジウム] 定員:各回100人
午前の部:10時30分〜12時
午後の部:1時30分〜3時
「日本の絵本、韓国の絵本」
日韓絵本作家らによるシンポジウム
出演予定者:イ・オクベ(絵本作家)、クォン・ユンドク(絵本作家)、ハム・ギマン(絵本編集者)、パク・ウンドク(絵本編集者)。(以上、韓国)
和歌山静子(絵本作家)、浜田桂子(絵本作家)、大竹聖美(翻訳者)、池田陽一(絵本編集者)。(以上、日本)
司会:穂積保(こどもの本WAVE代表) ※敬称略、順不同。

●参加費:無料
●参加対象:中学生以上の方(小学生以下は保護者同伴)
◎別途入館料が必要となります。

【お問い合わせ・お申し込み先】
西宮市大谷記念美術館
〒662-0952 兵庫県西宮市中浜町4-38
TEL:0798-33-0164 テレホンガイド:0798-22-3456(900)
http://www9.ocn.ne.jp/~otanimus/

【お申込み受付期間】5月10日(月)より21日(金)まで。
イベント番号【WAVE1】午前の部、午後の部
イベント番号【WAVE2】午前の部、午後の部

ご参加希望のイベントを下記までお電話でご応募ください。
(午前・午後をお伝えください。両日共のご参加も歓迎です)

お申込み電話番号 0798-33-0164
西宮市大谷記念美術館「WAVE in にしのみや」係

※参加者全員のお名前と年齢(学年)、電話番号をお伝えください。
※定員になり次第、応募を締め切らせていただきます。
※都合により内容等が変更になることがありますので、予めご了承ください。
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2009年09月08日

WAVEinびわこレポートB

【西巻茅子さん講演会】
日時 2009年7月24日 15:10〜16:40

・私は40年、絵本作家として描き続けています。
・昭和21年に小学校に入って、調度その時代は子ども達に良い絵本を!という風潮で、その中で過ごせたのがとても良かったです。
・父親が絵描きで、「絵描き=貧乏」だと思っていたから、絵描きにはなりたくなかった。代わりにデザイナーになろうと思いました。
・でも、どうやってデザイナーになった良いのか分からなかったから、最初は子どものアトリエを主催したんです。絵本を描く原点になったのは、子どもの描く絵なんです。
・本に関わる仕事をしたいと思ったのは田島征三さんの『ちからたろう』と出会ってから。
・子どもの本の世界で仕事をしていけば、貧乏からは脱却できると思ったんです。
・大学を出て、リトグラフを教えてもらいしばらくそのタッチで描いていました。
・そうしたら最初の個展で絵を評価しえくれた人がこぐま社の方で、ちょうどリトグラフで出版していたから、描いてみないかといわれて。
・絵本は何かも分からず、こぐま社にあった、海外の名作絵本を読んで勉強して、処女作『ボタンのくに』を作りました。
・私が絵本の世界に入った1970年代は今のロングセラーと呼ばれるものが沢山出た時代です。
・その中で、レオ・レオニの『あおくんときいろちゃん』が一番面白いと思いました。
・『ボタンの国』の後に、新しいおはなしを…と頼まれて、文字がなくても良い絵本を作ろうと思ったんです。それが『私のワンピース』でした。
・『私のワンピース』は良く見ると○△□のパーツでできているんです。私、デザイン科出身で、パーツを描くのに慣れていたので、それをメインに作りました。
・でも、最初こぐま社の反応はよくなくて、こぐま社の精神に反するとまで言われました。
・そのころ、子どもが生まれて、子どもの絵本を読む力に改めて感動しました。
・息子は長新太さんと、かこさとしさんの絵本が大好きでした。
・『あいうえおはよう』は最初に「あいうえおはよう かきくけこぶた」というフレーズが生まれて、あっという間に文章が書きあがってしまったんです。それをリトグラフにしてしまうとあまりにも簡単にできてしまうので、一番時間のかかる方法で絵を描こうと思いました。それが、布を使った刺繍になったんです。
・そうしたら、お手伝いに来ていた女性の方が、「あいうえおの次は、数字ですよね」っていって、じゃあ『ぼくたち1ばんすきなもの』ができました。
・今、子どもの心が壊れているといわれているけれど、心をこめて作れば意志が伝わることがあるし、心が行きかうことがある。心と心を繋ぐ仕事をするのが表現者だとおもいます。
・経済が複雑になったのは「言葉」があったから。絵や音楽は心のコミュニケーション。心の重要さを伝えたいけれど、自然に伝わるようにするのはすごく難しいこと。
・『えのすきなねこさん』…自然にできてしまった。描いてみて、やっぱり自分は絵描きなんだと思った一冊です。


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WAVEinびわこレポートA

【小野明さん講演会】
日時 2009年7月24日13:30〜15:00

・小野さんが絵本と接したのが大人になってからなので、ご自身の読み方を「大人読み」と称していました。
・当日会場には中学生の団体がいて、緊張すると語っていました。
・今回の展示に合わせて、各作家さんの話を5分前後で話す予定であることと、会場に飾られていない作品について話すことを事前に報告していました。

《大田大八さんのこと》
・それぞれの物語に合わせてタッチを変えている、数少ない作家さんの一人
・日本の最高水準=世界の最高水準だと思う。太田さんはその最高水準にいる人。
・絵本に関して様々な組織を立ち上げた。
・『やまなしもぎ』を見ると、日本画の線の多彩さを感じる。
・『西遊記』の世界観は色で表現されている。
・『大ちゃんと海』の水の描写がすごい。


《堀内誠一さんのこと》
・『絵本の世界110人のイラストレーター』は僕のバイブル。この作品を持っていない編集者を僕は信用しない。
・フランス風のユーモアと大人の風格あるユーモアを併せ持った人。
・堀内さんのエスプリを継承しているのは、100%オレンジだと思う。


《長新太さんのこと》
・『ちへいせんのみえるところ』…文を読んでも何を書いているか分からないことが絵本の真髄。長さんはその真髄のど真ん中にいた人。


《スズキコージさんのこと》
・『サルビルサ』…意味のない言葉を逆さにしていることの妙


《佐々木マキさんのこと》
・『作品名不明』…トムズボックスの土井さんが企画したシリーズの一作目。
・変さ加減、コラージュの面白さを読者に純粋に楽しんでほしい


《黒井健さんのこと》
・自作の絵本が少ない作家さん。
・人の文に絵をつけるときには、解釈力が必要となる。
・パステル調で描くことで、ファンタジー色が強く現れている。


《浜田桂子さんのこと》
・日常を書くことの難しさ(日常を書こうとするとどうしても現実に負ける)
・浜田さんは日常を描く難しさを感じさせない人
・『ぼくのかわいくないいもうと』は浜田さんの新境地だと思う


《林明子さんのこと》
・『こんとあき』『はじめてのおつかい』
・ページをめくることで魅力を増していく絵本

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2009年09月01日

WAVEinびわこレポート@

〔 太田大八自伝『紙とエンピツ』を編集して 〕レポート
落合直也さん(BL出版編集長)、太田大八さん(絵本作家)
日時 09/07/26 10:00〜
場所 佐川美術館(滋賀県守山市)


■はじめに
2階の満員の客席の中で、落合さんと太田さんのトークがスタート。
落合さんが質問し、太田さんが答えるスタイルでトークは進み、
時折交える太田さんのジョークに会場はおおいに湧きました。
以下、内容の抜粋です。


■内容抜粋
○この本の出る経緯
落合さん:
この本をつくるにあたって、「PeeBoo」という雑誌は忘れてはいけないです。

太田さん:
「PeeBoo」は同人誌的にやっていこうという考えがあった。
しかし作るにはお金がかかるので、出版社もからめられればと思った。
でも出版社に遠慮せずに書きたいという気持ちもあった。

落合さん:
20年経ち、違う形で「PeeBoo」を読めた気がします。
太田先生にはずっと「書いてください」とお願いしてきましたが、やっと書いてもらえた。

太田さん:
田島征三さんから、「自分史をつくればいいんじゃないですか」というアドバイスをもらったんですよ。

落合さん:
私はガブリエル・バンサンの本を以前つくったのだが、頭の中にはこの本がベースにあった。
今回、この企画展があったからお尻が決まった。それが本当によかった。
あらためて振り返ると、ものすごい仕事をたくさんされている。
太田さんのたくさんの絵本をどうやって紹介していこうかなと思いました。
カラーページは限られているし、悩みました。
しかし、ベースには「PeeBoo」がある。
そこで、鼎談にすることにして、穂積さん、和歌山さん、太田さんでしゃべってもらった。
そして、「PeeBoo」の編集に関わった人にエッセイを書いてもらった。

太田さん:
「PeeBoo」→「絵本学会」→「WAVE」という流れがある。


○絵本作家になるきっかけ
落合さん:
最初、1949年に原書店より『うさぎときつねのちえくらべ』を出版された。
僕はまだ生まれていなかったです。

太田さん:
これが僕の最初だった。
中学生時代の同級生が原書店で編集をしていたんですよ。
また、この本をみた人がいろんなところを紹介してくれた。
つくづく、友達は大事ですね。
その後、学校図書の理科のおかげで原稿料がたくさん入って、練馬に土地を持つことができた。

太田さん:
挿絵は昔、低くみられていた。
でもそれはまちがっている。イラストレーションというのはすばらしいアート。
3回ぐらい展覧会をやり、いろんな著名人の応援を得た。
それで、挿し絵の価値もあがったのではないだろうか。

太田さん:
童美連ができる前、美術家の著作権が非常に曖昧だった。
教科書会社は画家には印税を払わない。
4年ぐらい談判にいった。50社ぐらい集まって。
喧嘩したら負けると思ったので、示談100万円で攻めた。
そしてこのお金が、児童美術家作家同盟の資金になり、後に童美連になった。


○アメリカ旅行
落合さん:
70年、はじめてのアメリカ旅行が2ヶ月。抵抗なかったですか?

太田さん:
アンデルセン賞の審査にいってた神宮先生から、主席はセンダック、次席が自分だと聞かされた。
センダックに会いたくてアメリカにいった。
図書館でセンダックについて尋ねてみた。
その人に自分が次席の太田だと言ったら驚いていた。
日本ではせいぜい新聞に乗る程度。
アメリカはニュースとして全米図書館に配布する。
その姿勢に自分も驚いた。
作家と朝食をの会(400名)に呼ばれ、
8時半からご飯たべながらディスカッションした。
あれにも感心した。
こどもの本の接し方が、日本はちょっと遅れてるんじゃないかなと思った。
八島太郎さんにも会った。センダッックはスーツ姿だった。
自分はカジュアルだったので驚いた。
あとで聞いたらセンダックはフォーマルが好きなのだと知った。

太田さん:
ワシントンスクウェアに行ったら、黒人が座っていた。
一瞬危ないかなと思ったら、煙草をあげて、なにもなかった。
その当時は僕は52歳だった。


○太田さんと旅
落合さん:
日本ではなく、ボローニャではじめて田島ご兄弟に会われたのですよね。
その後意気投合して、スペインも一緒に廻られた。

太田さん:
堀内さん、長さんとは新宿で朝まで飲んだり、パリで飲んだりした。
堀内さんがムーランルージュのそばに安宿を紹介してくれた。
そばに日本語で「ラーメンあります」というポスターが貼ってあった。
いい所に来たと思った(笑

落合さん:
太田さんは自由に旅をされている。
ボローニャは仕事で行かれているが、非常に長期で旅をされている。

太田さん:
イタリアで魚をつってその場でやいて食べたりしました(笑
ニューヨークにいる時、メキシコにも行きたいと思いそのまま行った。
一晩泊って帰ろうと思ったら、夜のメキシコの街がすごくよかった。
なんとも旅情を感じさせるいい街。
トランペットの看板があったから飲み屋かと思ったら、サントリーの角瓶があった。
水はあぶないから、ストレートで3杯飲んだ。

太田さん:
僕はどこへいっても嗅覚がいいので、いいお店を当てれる。
ドアの取っ手のデザインや、雰囲気でわかってしまう。


○国際交流について
太田さん:
絵本は国際交流にもってこいのメディア。
絵は誰が見ても言葉なしでわかるから。
野間コンクールでグランプリをとったカンさんに、「日韓交流イベント」を持ちかけたら快諾された。

太田さん:
一番良かったのは、言葉はよくわかんないけど飲み会ですごい楽しそうだったこと。
中国で孫悟空を書きたいという話をしたら、すごくよろこばれた。
これからも交流をやっていきたい。
でも90歳なんであと一週間ももつか・・・。

落合さん:
それ、何度も伺ってます(笑


○制作面でのバタバタ
落合さん:
ブックデザインは杉浦範茂 さん。
「これでいいですか?」と太田さんに話したら、土壇場で「変える」と。
焦った。「絵をすぐもらえますか」と返した。
6/20にこの本を出したい。
6/1に絵ができた。
杉浦さんががんばって、デザインを受け取ったのが6/2。
6月は神戸ではインフルエンザが蔓延。
東京行きたくても行きにくい。。。
6/4に最終打ち合わせをしてデザインの変更となり、6/8にデザイン上がり、6/9に修正版提出となった。
もう、大変でした。


○太田さんのこの本の印象
太田さん:
絵が上手い。誰が書いた本?
あ、あの有名な太田さんの本か!
いろんな人に読んでほしいと思います。


○最後に一言
太田さん:
ひとこと。

太田さん:
本来の目的はだいたい終わったように思います。
画家の著作権を得ることができたし。
今は好きな絵を描いていきたい。
絵本もつくりたいし、タブローも描いていきたいな。


■雑感
太田さんの言葉は軽妙洒脱の中に、ブレない力強さがありました。
あらためて、弱者、マイノリティを熱く強く支えてくださる存在だと思いました。
それにしてもお酒にまつわる話が多い(笑
太田さんのような90歳になることはまず無理ですが、少しでもあのカッコ良さに近づきたいと思った次第です。
そして、太田さんの魅力を一冊にまとめられた落合さんの力量にも感服です。
お二人とも本当にありがとうございました。
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2009年06月16日

訂正です

WAVEinびわこのチラシに一部訂正がございます。

「※美術館へのご入館には入館料金が必要となりますが、イベント参加者は特別優待(半額)にてご入館いただけます。」

↓ ↓ ↓

「イベント参加者は無料にてご入館いただけます。」

WAVEinびわこご参加の方は当日「太田大八とえほんの仲間たち展」が無料です!!

絵本三昧の一日を琵琶湖のほとりでのんびりすごしてみませんか?
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